新年を迎え、一言ご挨拶を申しあげます。

私も60代最後の一年になります。先ほど年賀状を書き終えましたが、賀状だけのお付き合いで数年お会いしていない方が多いのも事実です。昔はプリントゴッコで印刷はしても、宛名だけは未だに昔から手書きしております。

 昨年の字は「熊」でしたが。私の生れ故郷の長野県飯山市でも街中で目撃されております。小学校4年に親父が家を建て、高校3年まで住んだ実家も両親は数年前に相次いで他界し、空き家になっておりました。昔は電線に手が届くほどの豪雪地帯も、温暖化とはいえやはり年に一度は雪下ろしをしなければならず、やむを得ず市の「空き家バンク」に登録しておりました(田舎住まい同士では借り手も買い手も無いため)。それが新潟県境側の妙高高原に物件を購入されたスキー好きのオーストラリア人夫妻の目に留まり、タダ同然ですが降雪前に彼らの住まいとして売却することができました。実家の話は個人的レベルですが、地震以外の災害の原因(遠因)はそのほとんどが地球環境の変化であり、クマ騒動やコメの高騰、漁獲量の変化などの災害以外でもかなり日常生活に関わるようになって来ました。

 沖縄の座間味合宿でオニヒトデの駆除を行ったことがあります。白化しているサンゴ礁の近くにはいかにもグロテスク(昭和の言葉?)なオニヒトデがいて、それをステンレス製の串状の道具に焼き鳥のように何匹も刺して浜辺に上げてから埋めました。その時も海洋環境の悪化が原因だと聞いた記憶があります。その隣の島の浜には、まだ信管が付いたままの機銃掃射された弾丸が潮干狩りのアサリやハマグリのように埋まっていました。弾丸の中の火薬にジッポーの火を近づけると一瞬で発火してびっくりした記憶があります。

 私にとって人間の仕業(しわざ)ともいえる現実を体験できた密度の濃い春合宿でした。打ち上げの時は泡盛しか呑ませてもらえず、酔ったままアカペラ(これも昭和?)でピンクレディのUFOを披露し、帰りのフェリーでは島々で集団就職する生徒の送迎に胸が熱くなったことも良い思い出ですが…(泡盛を彷彿させる芋焼酎は今も好んでは吞みません)。

 歳をとると最近のことは忘れ、昔のことばかり思い出すようになり、今年の年頭もまたとりとめのない内容になってしまいましたが、引き続き会員皆様の声を取り入れながら、会として現役諸君を支えていきたいと考えております。

皆様のご健勝とご活躍を祈念いたしまして、年頭のご挨拶といたします。

令和八年 元旦

              芝浦工業大学 体育会 スキューバダイビング部

                    OB会 会長 長坂 明(10期)